抑留テーマに「生」描く   
画家  久永強さん  8月28日死去 86歳
                 
 久永強さんの魂は、二女で熊本交響楽団コンサートマスター鶴和美さん(54)のバイオリンに送られて空へとかえっていった。若いころ、音楽家になりたかったという父にスパルタ教育を受けた娘が奏でる「夏の思い出」や「ふるさと」−。
 4年間のシベリア抑留をテーマにした44点の「シベリア・シリーズ」を描き、久永さんは75歳で「画家」になった。悲惨な抑留生活を記録した朴訥(ぼくとつ)でウソがない絵画はどこか童話のようで、「日本の素朴派」と呼ばれた。同シリーズは東京の画廊で展示され、美術評論に取り上げられ、世田谷美術館に収蔵され、画集が出版された。県文化懇話会賞にも選ばれた。久永さんは思わぬ反響に戸惑っていたそうだ。
 久永さんは絵の中で、抑留の日々を生き直していた。2000年にインタビューしたときした時、失礼なのは分かっていたが、「幸せな老後を迎えた自分を、後ろめたく思っているのではないですか」と聞かずにおれなかった。
 朝から晩までシベリアを描き続けた2年間は、自分自身を罰するかのようだったと聞く。一人の力ではどうしようもなかった戦争、戦友の命を救えなかったやりきれなさ。そんな記憶を「戦後」の中で片付けることなく抱き続けてきた久永さんが描いたのは、死という言葉の向こう側にある「生」の物語だった。
 画集「供よねむれ」を出版した福音館書店の編集者・松本徹さん(52)は話す。「久永さんは極限状態にあってもやさしさと強さを失わずに生きた。だからこそシベリア・シリーズは、見る人それぞれの心に響くのだと思います」
 世田谷美術館に収蔵されているシベリア・シリーズは43点。久永さんは手元に小品1点を残していた。ひっそりと”封印”されていた作品「奪われし命」は黒と茶の重苦しいトーンで大地に横たわる男の顔が描かれている。久永さんはシベリアの凍土に、帰っていくつもりだったのか。
 一人で「シベリア」を抱え込もうとした久永さん。その人間としての誠実さが忘れられない。
(文化生活部・小野由起子)